広島地方裁判所 昭和34年(行)6号 判決 1967年2月28日
呉市中通四丁目一五番地
原告
西尾宝一
右訴訟代理人弁護士
原田香留夫
右訴訟復代理人弁護士
阿佐美信義
広島市上八丁堀六番三〇号
被告
広島国税局長
宇佐美勝
右指定代理人
村重慶一
池田博美
中田武夫
吉富正輝
常本一三
岸田雄三
広光喜久蔵
右当事者間の昭和三四年(行)第六号所得税審査決定取消請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
被告が昭和三四年八月二四日付でなした原告の昭和三〇年度の所得税についてその所得額を金四、四〇六、七二一円とする審査決定のうち、所得額金一、一六六、二三三円九一銭を超える部分を取消す。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、各その一を原、被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は「被告が昭和三四年八月二四日原告に対してなした原告の昭和三〇年度の所得税額を金二、一四一、六七〇円とする審査決定を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求原因及び被告の主張に対して次のとおり述べた。
一、原告は肩書地で和洋酒類の販売業を営む者であるが、昭和三一年二月一五日呉税務署長に対し原告の昭和三〇年分の総所得金額を金一、〇七八、九五五円と申告したところ、呉税務署長は昭和三四年一月八日、原告が昭和三〇年中に訴外合資会社河又商店から同商店の原告に対する昭和二八年六月三〇日までの売掛代金債権金四、四八一、四四五円の抛棄を受けたとの理由で前記総所得金額を金五、五六〇、四〇〇円と更正決定をなし、その頃原告に通知した。
二、そこで、原告は昭和三四年一月二九日被告に対し右更正決定につき審査請求をしたところ、被告は昭和三四年八月二四日付で、原告が右河又商店から抛棄を受けた債権額は金四、一六五、六五九円が正当であること、原告の貸倒金未控除額金九五九、四八六円が認められること、確定申告不足金一二一、五四五円があることを理由に、右更正決定を一部取消し総所得金額を金四、四〇六、七〇〇円と改め、所得税額を金二、一四一、六七〇円とする審査決定をし、同月一六日原告に通知した。
三、しかしながら、原告の昭和三〇年分の所得は別紙原告の主張欄記載のとおり欠損であるから、右決定は違法であり、取消されるべきである。
四、被告は原告が河又商店から金四、一六五、六五九円の債権抛棄を受けたと主張するが、昭和二八年六月三〇日現在右のような債権は存在しなかつたし、また、右債権抛棄の通知は昭和二九年九月三〇日付書面でその頃原告に対してなされたものであつて昭和三〇年中になされたものではなく、かりにそうでないとしても右債権は債権抛棄の意思表示が原告に到達する以前に時効により消滅していた。なお、被告主張の時効中断の事実は否認する。以上の各主張が理由なしとしても、右抛棄債権額から次の(一)ないし(四)の金額合計四、四七三、五八〇円を差引くべきである。
(一) 酒類小売商が事前に卸問屋の承諾を得て、卸問屋の費用負担のもとに飲食店等のネオン、看板等の取付をし、その代金は小売商において立替え支払つておく業界の慣習が存するところ、原告は昭和二六年初頃から昭和二七年一二月頃までの間に、河又商店の承諾を得て、呉市中通六丁目所在キャバレークラブ・シローこと松原某方のネオン、看板代金五〇、〇〇〇円、同市本通五丁目アサヒ・ビヤホールこと益池某方のネオン・看板、商標入机、椅子代金七〇、〇〇〇円、同市広町大新開ビヤホール・ロツキーことの高田文一方のネオン、看板、植木代金五五、〇〇〇円、同市中通五丁目ミス・クレことケイン・ホーベス方のネオン、看板代金五〇、〇〇〇円外一〇数軒分合計金八四七、〇〇〇円を立替え支払つたが、決済されていない。
(二) 原告は昭和二八年五月二五日河又商店が支払うべき融通手形元利金一、〇三五、〇〇〇円を立替え支払つたが決済されていない。
(三) 原告は昭和二八年五月二九日付で河又商店から金一、〇〇〇、〇〇〇円の値引通知を受けたが、これが差引かれていない。
(四) 昭和二八年以前には、ビールの卸売につき容器瓶のいわゆるリンク制が実施されていたので、ビール代金には瓶代を含めないことになつていたにかかわらず、河又商店は原告に販売したビール七、〇三一箱(一箱は二ダース)中、四、三八五箱分につき瓶代として金一、五九一、五八〇円を売掛代金高の一部として計上しており、右は全く架空の債権というべきである。
五、本件債権抛棄は河又商店が法人税のほ脱を計る目的で行つたものであり、当時原告は充分な資力を有していたから、右抛棄債権が税法上貸倒損失として損金に計上されるべきものではなく、したがつて原告の益金とはなりえないものである。
六、原告の昭和三〇年分所得額計算上、損金として計上されるべき貸倒金の合計は四、九八〇、四〇四円であるが、被告は右の内一、八五九、四八六円しか認めないので不当である。右貸倒金の内容は河村丑太郎外二名に対する売掛代金債権一、六二一、四八六円、今田文麿に対する売掛代金債権八二、〇〇〇円、仁井克己に対する売掛代金債権一五六、〇〇〇円、魚住ヨシ子に対する売掛代金債権三、一二〇、九一八円である。
被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、事実に対する答弁及びその主張として次のとおり述べた。
一、請求原因一、二の事業は認める。原告の昭和三〇年分の所得は別表被告の主張欄記載のとおりであり、本件審査決定に違法な点はない。そして、原被告間において争いのある事項についての被告の主張は次の二ないし七のとおりである。
二、河又商店は昭和三〇年四月頃原告に対して原告に対する昭和二八年六月三〇日現在の売掛代金債権四、四八一、四四五円を抛棄する旨の通知をなしたが、被告調査によると、同日現在の右債権は帳簿上四、三六五、六五八円二四銭であるが、河又商店の使用人小林茂美が昭和二七年七月頃、原告から受取つた二〇〇、〇〇〇円を帳簿に記載していないことが認められるので、結局右抛棄債権額は四、一六五、六五八円二四銭が正当であり、右抛棄により原告は昭和三〇年中に右同額の利益を受けたことになるので益金として計算すべきものである。原告は右債権抛棄時までに右債権は時効により消滅していたと主張するが、河又商店は原告に対したびたび右債権の支払請求をなしており、原告は昭和二八年五月二九日に右債務の一部として一、〇〇〇、〇〇〇円を支払つて右債務を承認したから、前記債権抛棄通知時までに消滅時効は完成していない。そうでないとしても、原告は河又商店に対し右時効を援用していないし、かりに、昭和三〇年中に右時効の援用をなしたとすれば、債務免除と同様原告に経済的利益が発生したことにかわりなく、益金として計算すべきである。
三、河又商店が原告設置のネオン看板等の代金を負担する旨の契約はもちろん商慣習も存しない。
四、原告主張の融通手形立替え支払の事実及び値引の事実は否認する。
五、空瓶代については、ビール出荷の際引替えに空瓶の提供のあつたものは売上げに計上せず、その他については一応売上げとして計上し、後に空瓶の返還があれば入金として決済しているのであつて、前記抛棄債権額中に差引くべき空瓶代はない。
六、原告は右債権抛棄により、抛棄額と同額の利益を受けたのであるから、所得計算上これを益金として計上するのは当然で、右のことと債権抛棄が抛棄者の所得計算上損失として計上されるべきか否かは別問題である。したがつて、原告が右抛棄当時支払能力を有していたか否かは右益金計上と無関係である。
七、原告主張の貸倒損失中、昭和三〇年中に取立不能と認められたのは一、八五九、四八六円であり、残余は昭和三一年中に取立不能になつたものと認め、同年分の所得計算において貸倒損失として控除した。
立証として、
原告訴訟代理人は、甲第一、第二号証、第三号証の一ないし七、第四号証の一ないし九、第五号証の一ないし六、第六号証、第七号証の一ないし四、第八号証の一ないし七、第九号証の一ないし五、第一〇号証、第一一号証の一、二、第一二号証、第一三号証の一、二、第一四ないし第二二号証、第二三号証の一ないし七七、第二四ないし第二七号証、第二八号証の一、二、三、第二九号証の一、二、三、同号証の四の一、二、同号証の五ないし八、第三〇、第三一号証の各一、二、三、第三二号証、第三三号証の一ないし六、第三四号証の一ないし五六、第三五号証の一ないし五、第三六ないし第四七号証を提出し、証人吉井五一良、東照夫、松野晄、丸岡重忠、平岡琢三、大川英二、平野忠代、山村政也の各証言、原告本人尋問の結果(第一、二回)を援用し、乙第一〇号証の一ないし九、乙第一一、第一二号証の成立は認める。その余の乙各号証の成立は不知と述べた。
被告指定代理人は乙第一号証の一、二、第二号証の一ないし八五、第三、第四号証、第五号証の一、二、第六、第七号証、第八号証の一、二、三、第九号証の一、二、第一〇号証の一ないし九、第一一、第一二号証を提出し、証人吉井五一良、三木実、野島久夫、田原広、金木秀雄の各証言を援用し、甲第六号証は「但し値引」の記載部分の成立は不知、その余の部分の成立を認める、甲第一九号証、甲第二四、第二五、第二六号証の成立は不知、その余の甲各号証の成立を認めると述べた。
理由
一、原告主張の請求原因一、二の事実は当事者間に争いがなく原告の昭和三〇年分の所得計算上その基礎となる事項については別表記載のとおり、債務免除益及び貸倒金につき争いがあるほか、その余の事項は当事者間に争いがない。
二、そこでまず債務免除益について検討する。
成立に争いがない甲第二号証、乙第一〇号証の一ないし九、証人吉井五一良、三木実、金木秀雄、東照夫の各証言原告本人尋問の結果(第一、二回)によると、原告は昭和二五年頃から河又商店と取引をしていたが、昭和二九年頃右両者間に売掛金の未済額につき争いが生じたが解決せず、河又商店はその頃税理士三木実に善後策を相談した結果、右未済額の不明確な昭和二八年六月三〇日までの売掛金債権を抛棄し、これを同店の昭和二八年一〇月一日から昭和二九年九月三〇日までの事業年度の法人所得計算上貸倒損失として計上することとし、乙第二号証の一ないし八五(西尾宝一売掛金明細表)を基礎として右売掛金債権額を四、四八一、四四五円と計算し、右年度の貸倒損失として計上して呉税務署長に申告したが、右債権抛棄はその意思表示が原告に対してなされていないとの理由で否認されたので、河又商店の役員吉井五一良は三木税理事務所の事務員金木秀雄起案の昭和二九年九月三〇日付債務免除通知書(甲第二号証)を昭和三〇年四月初旬頃原告に原告方で交付したこと、河又商店は昭和二九年一〇月一日から昭和三〇年九月三〇日までの事業年度の法人所得申告において右抛棄金額を貸倒損失として計上したところ呉税務署長からは否認されたが審査請求の結果、被告は計算違及び入金の記載もれがあつたため抛棄金額を四、一六五、六五九円と訂正した上これを貸倒損失と認めたことが認定でき、原告本人尋問の結果(第一、二回)及び甲第四二号証中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。以上の事実によると、河又商店は、昭和二八年六月三〇日までの原告に対する右売掛金債権は金額につき争いがあるため取立不能とみて、同日までの売掛金債権全額(この金額については後述)を昭和三〇年四月頃抛棄したものというべきで、右抛棄相当額は所得計算上原告の昭和三〇年中における益金とすべきである。(河又商店の所得計算上右抛棄額を貸倒損失となしうるか否かは問わない。すなわち、回収不能でない債権を抛棄してもこれを損金として計上できないことは原告主張のとおりであるが、債権抛棄を受けた者が利益を得ることは否定しえない。)そこで、昭和二八年六月三〇日現在の河又商店の原告に対する売掛金債権額につき案ずるに、前認定のとおり河又商店の前示昭和二九事業年度の原告に対する貸倒金計上は前記の乙第二号証の一ないし八五の明細表を基礎としてなしたものであり、被告もまた右明細表記載の売掛金の存在を認めた上前記のとおり損金処理を是認したことが認められるが、右明細表は、成立に争いがない甲第三号証の一ないし七、甲第四号証の一ないし九、甲第五号証の一ないし六、甲第七号証の一ないし四、甲第八号証の一ないし七、甲第九号証の一ないし五、甲第一一号証の一、二(いずれも河又商店から原告宛計算書)に比し、その内容が相違し、右の相違がいかなる事由によつて生じたかを明らかにすべき証拠のないことと、証人吉井五一良の証言によると右は前示河又商店の法人税の審査に際し作成されたもので正規の商業帳簿とは認められず、本件売掛金の存否について証拠となしがたい。そして、右各計算書と原告本人尋問の結果によれば、河又商店は原告に対し昭和二八年六月一〇日現在の売掛金残高を金九二五、一七一円九一銭として請求しており、原告も右程度の債務の存在を承認している事実が認められること、右六月一一日以後六月三〇日までの取引内容を知るべき証拠は後にも説明するとおり他に存在しないことからすると同月三〇日における売掛金は右金九二五、一七一円九一銭であつたと認めるのが相当である。そこで、右売掛金の存否及び額についての原告主張の反対債権等について順次案ずるに、証人丸岡重忠、平岡琢三、吉井五一良の各証言、原告本人尋問の結果(第一回)によると、酒類小売商が得意先にサービスとして設置したネオン、看板代等を卸問屋を通じてメーカーに負担させる事例のあることは窺われるが、右各証拠によれば、右は各業者間における個別的な契約によるものであることが認められ、かかる契約のない場合に小売商がその支出した右代金を卸問屋に請求できるとの商慣習を認むべき証拠はなく、原告と河又商店の間で原告主張の各ネオン、看板代金を河又商店が負担する旨の契約の存在を認めるに足る証拠はない。次に、原告は昭和二八年五月二五日河又商店に対し金一、〇三五、〇〇〇円を立替え、右債権を有していたと主張するが、甲第一七、第一八号証、証人山村政也の証言、原告本人尋問の結果(第一、二回)によつてはいまだ右主張事実を認めるに足らず、他にこれを認めるに足る証拠はない。原告は昭和二八年五月二九日河又商店から売掛代金につき一、〇〇〇、〇〇〇円の値引通知を受けたが、これが売掛金から差引かれていないと主張するが、右にそう甲第六号証(領収書)と原告本人尋問の結果(第一回)は、右値引金額が前記未済売掛金の額に比し多額に過ぎること、値引に領収書を交付することが常識に合わないことから右領収書中の「但シ値引」なる記載が真正に成立したものと認めがたいのでにわかに措信できず、かえつて証人吉井五一良の証言と前掲甲第八号証の七によると、原告は昭和二八年五月二九日頃河又商店に買掛金債務の内金として一、〇〇〇、〇〇〇円支払い、その領収書として甲第六号証(前記「但シ値引」の記載を除く)の交付を受け、河又商店は右を売掛金債権の入金として処理したことが認められる。原告は、河又商店は売掛金に属しないビール空瓶代金一、五九一、五八〇円を売掛金に計上している旨主張するが、前掲各計算書と証人三木実の証言によると、河又商店はビール売却に際し空瓶引替えのときは空瓶代を売上として計上せず、そうでないときは空瓶代を含めて売上金として、空瓶の返還をうけた際、その代価を控除して処理していたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はなく、原告の主張も採用できない。
以上のとおり認定することができるところ、成立に争いがない乙第一〇号証の一ないし九によると、被告の前示河又商店の貸倒損失についての審査決定における調査結果では、昭和二八年六月三〇日以前に、前記河又商店から原告宛の計算書中の入金と異なる原告の河又商店に対する小切手振出、現金交付等の記載のある小切手帳控、原告作成のメモ等の補助記録があつたことが窺えるが、本件ではこれらの原本が証拠として提出されないのみならず、他に商法所定の商業帳簿は原告、河又商店のいずれのものも証拠として提出されないので、右補助記録の記載ないしは被告の調査結果をもつてしてはいまだ以上の認定を左右するに足らず、他に以上の認定を覆すにたる証拠はない。
そうすると、本件債権抛棄による原告の益金は九二五、一七一円九一銭というべきところ、原告は右債権抛棄の通知を受けた日時頃までには右債権はすでに時効により消滅していたと主張する。しかしながら、前認定のとおり、原告は昭和二八年五月二九日買掛金債務の内金として一、〇〇〇、〇〇〇円を支払つておるのであるから、右は債務の承認として時効中断の効力を有すると認めるのが相当であるから、右主張も採用しない。
三、次いで、原告主張の貸倒金について案ずるに、原告本人尋問の結果(第一回)及び弁論の全趣旨によると、原告主張の売掛金債権合計四、九八〇、四〇四円はいずれも回収不能となつたものであるが、金一、八五九、四八六円は昭和三〇年中に、その余の金三、一二〇、九一八円は昭和三一年中に各回収不能となつたものであり、原告に対する所得税の課税上右各年度において、それぞれ貸倒金として損金計上が認められたことが認定でき、これに反し、右三、一二〇、九一八円が昭和三〇年中に回収不能となつたものと認めるに足る証拠はなく、右を本件係争年度の損金とすべきであるとの原告の主張は採用できない。
四、以上認定のとおり、本件債務免除益は九二五、一七一円九一銭、貸倒金は一、八五九、四八六円であり、右と前記当事者間に争いがない所得を合算すると原告の昭和三〇年分の所得金額は、一、一六六、二三三円九一銭となる。そうすると本件審査決定中右所得金額を超える部分は違法であり取消を免れない。
よつて、原告の本訴請求は右認定の限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、民事訴訟法第九二条本文を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 長谷川茂治 裁判官 雑賀飛竜 裁判官 河村直樹)
別表
<省略>